杏寿を初めて高座で見たのは確か浅草「東洋館」だったと思う。
入門して半年、まだ杏寿が見習いの頃だ。その浅草東洋館で二つ目昇進初の独演会ワクワクしている。
その頃世之介の弟子は三人。皆女の子で容姿端麗な子ばかり。如何に女性落語家が増えたとは言え驚かされたのを覚えている。
こんな子達がはたして一癖も二癖もある落語界で生き残って行けるのか心配したが、案の定、杏寿を残してあとの二人は世之介のもとを去っていった。
だから今は杏寿が世之介の一番弟子だ。
そしてこの二月十一日から二つ目に昇進した。二月の別称「杏月」に昇進は何かの良縁を感じる。
師匠の世之介は若い頃からマスコミで売れて居たので甘やかされて育ったように言われているが、事、落語や修行に関しては厳しいと、一緒に前座修行をした兄弟子馬生から聞いたことがある。
先代馬生の家では毎日が大掃除をするような修行で、落語の稽古も今はほとんど無くなってしまった「三遍稽古」で教わっていたそうだ。それを世之介は今も弟子たちにも行っている。
実際の「三遍稽古」を見た事は無いが録音機材も使わず口伝手の三回で落語を覚えさせる稽古だそうだ。
師匠から杏寿が稽古を付けて貰っているNHKの映像を見たことがあるがその真剣な様子は画面を通しても感じられた。そんな稽古を経てやはり噺の成長は目を見張るものがある。
一年ほど前になるがTV朝日のWAGEIで喋っていた「たちきり」は「これが前座の芸か?」と思う程の出来だった。
遊び好きの師匠の世之介が芸者の格好をさせての演出についついそちらに目が行ってしまったが、確かに杏寿の未来を感じさせてくれる一席だった。
是非今回の独演会でかけて欲しい一席である。
そもそも杏寿が噺家になろうと決心したのは世之介独演会で「宮戸川」の上下を聴いた事に始まる。特に下の部分を聴いて落語の奥深さに感じいってしまったと言っていた。
それまでタレント活動をしていた杏寿だが、ただ使い捨てられてゆく芸能界。「この世界でいったい私は何者?」という不安の中で世之介の高座が杏寿を魅了させてしまったのだ。そのまま世之介の下に飛び込む決心をしたようだ。
杏寿の名前の由来を世之介に聞いた。
「うちの師匠馬生は噺家の名前についてはとても神経質で前座だからふざけた名前を付けるものではないといつも言っていました。なぜなら前座を拵える為に弟子は取ったのではなく噺家にする為に取ったのだから前座の名前がそのまま一世を風靡しても構わないくらいなつもりで名前を付けなくちゃいけない。と言っていたからです。
杏寿の音の響きはフランス語のエンジェルと言う意味のアンジュです。女子落語にとどまらずいつか落語界を救ってくれるほどの逸材になって欲しいと言う意味がこめられています。
そして文字の杏は彼女が噺家になる以前マスコミで活躍していた時の彩杏(アイ)の名前から取りました。噺家になって活躍し始めた時、以前のファンがインターネットなどで杏の字を打ち込んだ時に関連性で杏寿が検索できるようにという配慮です。
寿と言う字はなんだかお年寄りぽっく感じますがいずれ杏寿もそんな年齢になってでも活躍してくれるでしょうから良いでしょう。めでたい寿の文字ですし。」
こんなコメントをくれた。何はともあれ二つ目初の独演会を浅草東洋館で行うという意気込みは嬉しいじゃないですか。威勢のいい二つ目が出て来たと諸手をあげて応援したい。
可愛らしい容姿だけでなく聴く者を引き付ける杏寿落語の世界を是非皆さんで育てて欲しいものです。
演芸評論家 室輪まだこ