(18:00 開場)

金原亭世之介の会

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会場詳細

〒171-0021
東京都豊島区西池袋1-23-1
エルクルーセビル地下2階

池袋演芸場
金原亭世之介の会
前売 2,500円
当日 3,000円

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▼ 世之介プロフィール ▼

金原亭世之介 ニコニコチャンネル「東日本橋落語ちゃんねる」

季節を残す落語『花見の仇討』

落語には季節があるのを御存じだろうか。

全ての噺に季節があるわけではないが四季の落語に加えてお正月の落語や年の暮の根多が大まかな別れ方で存在する。

季節を楽しむ日本人の文化に非常にマッチしているのだ。昔の噺家はこれを大切にしていたから、志ん生、文楽の時代、今から50年位前までは季節外れの噺を演じると楽屋で馬鹿にされたと聞いている。

そのうちセントラルヒーティングと言った一年中快適な生活が送れるようになってきてだんだん落語の季節感も無くなってきたように感じる。

野菜や果物も一年中スーパーで販売されているから旬の食材と言う概念が薄らいでいて「かぼちゃ屋」や「唐茄子屋政談」は一年中寄席で聴ける。さすがに「千両みかん」は夏にしか演じられないだろうが、夏の噺「宮戸川」や初午の「明烏」はもう夏も冬も関係なく演じられている。

夏場の怪談噺は今も健在だが、若い噺家達は「お菊の皿」を一年中高座にかけている。

これは嘘か誠か分からないが私がまだ若かりし頃、三遊亭圓生が真夏に「鰍沢」を演じたところ、その上手さに真冬の雪深いシーンで観客が震えて聴いたという逸話が残っているが、圓生がわざわざ真夏に「鰍沢」は演じないだろう。

「笠碁」も季節は秋のものだと先代小さんから聞いた事がある。「あれは梅雨じゃない。秋の長雨でなきゃあの季節感は感じられないんだ」と言っていた。

そんな中でさすがにこの時期しか演じられないのが花見にちなんだ落語だ。三月中頃から、四月にしか聞けない落語だ。

「長屋の花見」「花見の仇討」「花見小僧」「花見酒」など毎年どんなに早くやり始める落語家が居ても季節に沿って演じている。

一度、二月の節分のころに先代扇橋が新宿末廣亭の昼席で「長屋の花見」を演じた事があった。たまたま末廣の喫茶「楽屋」で師匠に会ったので「季節を大切にする俳人である師匠が『長屋の花見』を演られたのはどうしてですか」と聞いた。

師匠は「早くやらないと季節になると誰かが必ず高座に掛けちゃうから、出来なくなっちゃうんだよ。そうすると一年待たなきゃならくなっちゃうからね」と言って恥ずかしそうに力うどんを食べていたのを思い出す。お茶目な師匠だった。

さて今回の「花見の仇討」を一番多く聞いたのが先代馬生の高座だ。向島の桜の首つり余興の「すちゃらか、すちゃらか」の軽妙さや、侍が助太刀に入って来た時の熊さんの「帰ってもらえよ。いいから帰ってもらえ」と言うセリフ回しが滑稽で今でも記憶に残っていて、思い出すだけでにやけてしまう。

世之介も馬生の落語を継承していて飛鳥山の花見の季節感がとても楽しい。

今は花見と言えば上野公園、千鳥ヶ淵なんて場所が有名だが、江戸時代の花見は向島の土手と飛鳥山と相場が決まっていた。世之介はこの噺を覚えた時、飛鳥山まで師匠の家から歩いて行ってみたと言っていた。その時の感想は「歩いて疲れた事より、飛鳥山で弁当広げて花見をしていたら、目の前を通る花見客の砂埃がものすごくて弁当があっという間に砂だらけになってじゃりじゃりの弁当を食べましたよ。江戸時代はもっと凄かったんだろうなと笑っちゃいました。花見は全舗装されてる上野に限るよ」と言っていた。

当時は稽古に行った師匠から「一度は習った落語の舞台の現場は見ておきなさい」と言われたと言われたそうだ。そういえばずぼらな噺家はそのまま聞き覚えで噺を演じてよく調べたりしないから、先代古今亭圓菊は「宮戸川」で「霊岸島」を「こう丸島」と間違って覚えていたとか。まっずぼらな志ん生から習ってそう聞こえたんだろう。それも噺家らしくて私は好きだが今は細かくうるさいお客さんが居るから大変そうだ。

何はともあれ春の最後の時期の花見根多をじっくり楽しんでもらいたい。

そして今回「世之介の会」で弟子の駒平は前座を務めるのが最後と言う事だ。ちなんで中入りを挟んで二席、前座と食いつきに上がるらしい。五年間駒平を見てきたがその成長はこのところ著しい。前座最後の世之介の会をみて。今後も二つ目駒平を応援して欲しい。いよいよ世之介一門が楽しみである。

それでは池袋演芸場で。

演芸評論家 室輪まだこ