「文七元結」「火焔太鼓」「明烏」この三席と言えば落語十八番と言っても良い根多だろう。そして古今亭十八番と言えば志ん生十八番に感じるが、それより金原亭馬生、古今亭志ん朝の十八番がすぐに頭に浮かんだ。
三席のうち志ん生は「明烏」をあまり高座に掛けなかったように思う。それは当時先代桂文楽が十八番としていたから根多の多い志ん生は遠慮していたものと思われる。
先日学生に「明烏」とはどういう意味ですか」と尋ねられた。
「簡単に言えば、夜明けの烏の事で男女の交情を邪魔するつれないものの例として使われてる言葉だね」と答えておいた。
江戸の昔から昭和の時代までは夕暮れ時と早朝にはよく烏が鳴いたものだ。しかし今は防音がしっかりした建物が多いためか、烏の減少からか烏の声に起こされるなんて言う経験は現代人では皆無なのかもしれない。
三枚起請の「三千世界の烏を殺し主と朝寝がしてみたい」なんて粋な都々逸はもう通用しないのだろう。
さて駒平の「明烏」は師匠世之介のもので源兵衛を太助の兄貴分の友達として演出されている。源兵衛と太助の性格が上手く表現されていて中々秀逸な演出だ。志ん朝や馬生の演出とは違っていて見どころでもある。
小さなクスグリもふんだんに散りばめられていて大阪で世之介が演じた際に米朝に褒められていたのを記憶している。
「火焔太鼓」は何といっても志ん生であろう。余りにも神仏化された根多で演出の変えようは今はないのだろうが、杏寿が演じると言うのなら話は別で先日「子別れ」で杏寿が演じた「亀ちゃん」と「熊の女房」の演出は秀逸だった。
女流噺家の演じる甚兵衛さんと女房のやり取りが女性ならではの雰囲気を醸しだして何か新たな高座が出来て行くのかもしれないと期待している。
「文七元結」は世之介の十八番と言っても良い根多のひとつだ。一昨年ほど前、世之介が雑誌「SWITCH」のインタビューを受けた時に同席させてもらった。編集長が「SWITCHでの志ん朝特集」で「文七元結」の演出について志ん朝から話を聴いたことについて世之介に質問していた。
「志ん朝師匠は佐野槌の女将の演出に大変苦労したと言っていましたが世之介師匠はどこに苦労しましたか」
「実は志ん朝師匠からこの噺を稽古してもらった時に師匠から、出演者の演出に困ったら身近に生きている人を手本にして作り上げてごらん。例えば俺は佐野槌の女将には兄貴のカミさんに一つヒントを貰ったね。と言われました。
それからは近場の人を観察して私は佐野槌の女将はうちのおかみさんに加えて浅草の芸者上がりで踊りの稽古をしてくれている浅茅師匠を手本にさせてもらってます。それでもやっぱり女将の演出は難しいし、全てにおいて難関多い噺ですね。
ちなみに明烏の源兵衛と太助は私と弟弟子の左橋が原点ですよ。」と話していたのを思い出す。
志ん朝が兄貴のカミさんと言ったのは先代馬生の奥様のことだが。そんなことを思い出した。駒平の明烏の源兵衛、太助。世之介の文七元結の佐野槌の女将、杏寿の火焔太鼓の甚兵衛さんと女房。
そんなことをちょっと心の隅に置いて三人の噺を聴くとまた楽しみが増えるかもしれません。是非秋の夜長の落語会。古今亭一門が十八番とする三席。
私も期待して十月の「世之介の会」に足を運ぶつもりだ。
演芸評論家 室輪まだこ