落語の題名は根多帳を付けた前座や楽屋番がその後出演する演者に同じような噺を高座に掛けないように書いたのが始まりです。
題名を見れば芸人同士はだいたいどんな事を前に上がった芸人が喋ったか分かるわけです。
今でもお正月の初席での高座では朝から何十人もの芸人が短い小話のような噺をしても同じ噺をしないのはその最たるもので、それは楽屋の前座さんのセンスです。
亡くなった川柳川柳の「ガーコン」や鈴々舎馬風の「会長への道」先代圓歌の「中澤家」などの演題は当時の前座の秀逸なセンスを感じるし、NHKでもこの題名で放送されていた。
この演題は世之介と亡くなった右朝の二人が前座の頃考えたと聞いた事がある。
それを考えると「つるつる」とか「ぞろぞろ」「時そば」「万金丹」「目黒の秋刀魚」「子別れ」「文七元結」「芝浜」「船徳」など考えた古の前座は大したものだと思う。
もちろん作者が題名を命名するものも沢山あって、柳家小ゑんの「ぐつぐつ」なども好きな演題だ。そして一度その噺を聞けば題名が成す意味をお客様も納得する。凄いコピーだと今更ながら思う。
ところが「宮戸川」は寄席で聴く限り何故この噺が「宮戸川」なのか分かりにくい演題のひとつだ。
志ん生も志ん朝も、良く高座に掛けていた先代圓菊も誰を聴いても「本が破れて分からない」でサゲられていて、当時私もこの噺に後半がある事を知らなかった。
私がまだ高校時代に先代馬之助の後半部分を聴ける機会があった。そこで初めて「宮戸川」の意味を知って感動したのを覚えている。
後半部分をいま演じているのは人間国宝の五街道雲助とその一門や弟弟子の世之介などであるが、噺の内容が悲惨なため聴ける機会は稀だ。
前半の霊岸島の叔父さんと半七の滑稽なやり取りから後半はガラリ変わって物語はまるで芝居噺のように展開してゆく。
世之介は二つ目時代からこの噺が好きで前半の「お花半七」で切らずに通しで高座に掛けていた。
実は今いる世之介の弟子の杏寿も駒平も世之介の「宮戸川」の通しを独演会で聴いて感動して入門したと聞いている。
その「宮戸川」上、下の通しを今回は高座に掛けると言うので私も今回はかなり楽しみにしている。
落語を好きになって色々聞き始めているお客様には特に今回の「金原亭世之介の会」の世之介の高座をお勧めしたい。
落語の深さを改めて感ぜられる高座になる事は間違いないでしょう。
演芸評論家 室輪まだこ