(18:00 開場)

金原亭世之介の会

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会場詳細

〒171-0021
東京都豊島区西池袋1-23-1
エルクルーセビル地下2階

池袋演芸場
金原亭世之介の会
前売 2,500円
当日 3,000円

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▼ 世之介プロフィール ▼

金原亭世之介 今夜たまたま開店日です

『落語の若旦那を堪能する』

落語の若旦那とくれば遊びが過ぎて親から勘当される道楽者が相場だが、もともとは初心(うぶ)な若旦那が何かの拍子に道を外してゆくわけで元々の悪人ではないから「湯屋番」にしろ「片棒」「船徳」「唐茄子屋政談」にしろ江戸っ子の八っあん熊さんとは違う高座に色気と気品が感ぜられなければ何だか聴いた満足感がないものだ。

落語でもお馴染みの歌舞伎「お富与三郎」の与三郎も良い例で、芝居の舞台でも悪人ではあるが気品がなければいけないからお富の家の玄関先で足を組んで待つ与三郎の背中はピンと伸びていないと絶対にいけないそうだ。

着物も皺にならないように与三郎役は出番までは絶対座らないと聞いた事がある。私は落語もそうあって欲しい落語ファンの一人だ。

だから落語家が若旦那ものを演じる時、着物の着方がだらしなかったり背中を丸めて話す高座を見るとがっかりしてしまう。

俗に落語さんたちが使う「綺麗ごと」という言葉があるが、そんな噺家に演じて欲しいといつも思うのである。

古今亭志ん朝師匠と酒席を共にさせていただいた時に師匠もまったく同じことをおっしゃっていた事を思い出す。

師匠は高座にかなりな美学を持ってらっしゃったから色気の必要な噺を掛けるなら踊りの素養がないといけない。ない人には演って欲しくないとまで言っていた。

さて今回の世之介の「明烏」「たちきり」はまさに色気なくして演ってはいけない噺ではないかと思う。

世之介の「明烏」は二つ目時代から何十回も聴いたが私は現在生きている噺家の中では彼の「明烏」が一番と思っている。

真打になって踊りも名取になり細かな所作が巧みになったばかりでなく滑稽さも増してここまで笑えてそれでいて色気のある「明烏」は他では出逢えない。

世之介が大阪で「明烏」を掛けたとき米朝師匠に褒められた話は有名だ。久しぶりに聴く「明烏」は楽しみである。

「たちきり」の演出については世之介から聴いたとき「えっ」と驚いたことを覚えている。

「この噺は初めからずっと笑って話すぐらいで丁度いいんです」と言ったのだ。

ご存じの通り若旦那に恋焦がれた芸者の「小ひさ」は若旦那を思って逝ってしまうという物語だ。それを笑って話すとは。

落語的な初めは巧くいって、その後しくじるパターンの噺であるから、先が知れて演者によっては客を逸らしてしまって、あまりウケないなんてことに成る。そのせいか近頃これと言った「お化け長屋」に当たっていない。

「そんなんで聴いたお客は物足りなくならないですか」と聞くと

「この噺は先代の扇橋師匠から教わって、先代文枝師匠に演出をたくさん習いました。そして噺は違いますが先代馬生から柳田格之進の演出を教わった時に悲しさを演じちゃいけない。と言われたんです。この噺も一緒です。今も稽古をしてもらった時の扇橋師匠の録音を聴くと、扇橋師匠も決して泣きませんし声を張り上げもしません。どちらかと言えばどこか口角があがっているように淡々と喋っている。それだからこそ悲しさに堪える「小ひさ」やかあさんの胸の張り裂けそうな感情が伝わってくるんです。是非今度聴いてください。」

あの時言われた世之介の言葉をそのままここに書きたい。

是非実感しに池袋演芸場に足を運んでほしい。落語に対する魅力を新たに出来る機会がそこにあるとお約束してお勧めする。

演芸評論家 室輪まだこ