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NEWS > 18.10.29 金原亭世之介の会
2018.10.29 18:30 開演(18:00 開場)
金原亭世之介の会
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会場詳細
〒171-0021
東京都豊島区西池袋1-23-1
エルクルーセビル地下2階

池袋演芸場

10月29日金原亭世之介の会


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■ 前売り:2,500円
■ 当 日:2,800円

『柳田格之進』
 どうしても突然。演じたくなった噺です。古今亭一門の十八番の「柳田格之進」は演ずるたびに毎回悩んでいる噺のひとつです。亡くなった志ん朝師匠に演出について随分手ほどきを受けましたが、「俺も悩んで演ってるんだよ。兄貴(故十代目馬生)みたいにさらっと演れたら良いんだけどね。お前なんかは楽しく演れば任に合ってるんじゃないの。俺はきっちり演らないとだめだからなぁ。」と水割を飲みながらサラッと言われました。その時はその意味をつかみかねていましたが、近頃になってやっと楽しく演るの意味を気付かされました。世之介の良さは明るさですからね。還暦を過ぎて無理に演出を創るのでなく世之介の中にある人間性が出てくれば良い噺になるのだと思っています。師匠馬生の柳田に優しさが溢れていたのは演出だけでなく馬生の芯にある優しさが柳田にのり移っていたのです。さて落語の吉原噺は遊びに眼目が置かれてますから楽しい噺がほとんどですが「柳田格之進」は吉原に纏わる物としては真逆にある噺です。花魁に身を落とさなければならない娘の心情と柳田格之進の武士としての葛藤。演じれば演じる程、楽しくも難しい一席です。落語は人生のほんの一瞬の切り口が舞台。一年の時の流れの中に浮き沈みする物語に登場人物それぞれの人生。どの人物に皆さんの感情を入れ込むのか、そんなことを片隅に置いてお楽しみ頂けたら幸いです。

■ 金原亭世之介



『幾代餅』と『柳田格之進』
 江戸時代から続く伝統芸である落語を見続けて半世紀になる。その間それぞれの時代に名人が至極の芸を演じ、聞けば聞くほど新たなる発見がその奥深さを魅せつけて来る。それは聞き手の成長と比例して往く落語特有の世界と思う。そして聞き手の個々の人生と同調する噺家に出会えた時その落語は覚醒することを近頃やっと気がついた。ご多分に漏れず志ん生の芸にはまり、馬生、志ん朝と聞きいり今は世之介を追いかけている。勿論先代金馬、文楽、談志、小三治も大好きだが古今亭の噺を聞くと感動が違うのだ。例えば今回の「幾代餅」先代圓生の十八番を崩す落語は無いとまで言わしめた「紺屋高尾」と同一ネタであるが、私には先代馬生の「幾代餅」を聞いた時の感動の方が今も鮮明だ。しかし世之介はその上を行っていると私は思っている。世之介の演出は得てして清三に向かれがちだが実は親方、女将、幾代太夫の演出の巧みさにある。世之介の演出はそれぞれの人物の喋りの間にあると思っている。例えば幾代太夫のゆっくりとした間と清三の畳み掛ける喋り。演じていると言うより演出していると言うのが正しいのだろう。これだけ二人の人物をくっきりと演出しているのは立川談志の「高尾」以外には知らなかった。もっとも世之介は談志から「紺屋高尾」の稽古を受けている事を後で知って、なるほどと納得したことがあった。「柳田格之進」は志ん生が講談師時代に落語に直した傑作人情噺だ。古今亭のお家芸であったが古今亭志ん朝が亡くなって十八番とする師匠が居なくなってからは、どの一門も演じている。それだけ噺家にとって魅力的な噺なのだろう。この噺は志ん生より先代馬生の演出が大好きだった。父の自由奔放さを受け継ぎながら後半の娘を一言「まるで老婆だ」と言う格之進の演出は秀逸だ。しかし決して絞めすぎない笑いをちりばめた馬生の演出を世之介も踏襲している。志ん朝がこの噺はまだまだこれから作っていきたいと言ってこの世を去った大作。何度も聴いている世之介の作品だが今夜の「柳田格之進」に新たな世之介を期待したい。

■ 演芸評論家 室輪まだこ


= 当日の演目 =

金原亭駒平「道灌」
金原亭乃ゝ香「道具屋」
金原亭世之介「幾代餅 / 柳田格之進」






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