世之介から前回で「志ん生の孫」は配信を終えると聞いて、私は「せっかくお客様がついてきたのだからもう少し続けてみたら。」と話をしたら、すでに次が決まっていて、今度は配信のみの落語会から有観客、生配信の会で行うという。
どうも噺家はサプライズぽく話を進める癖があっていけない。先ず下げてからもち上げる。もっとも世之介のマクラも実にいつもそういう設定で何度聞いて居ても騙される。何はともあれこれからもずっと続くようだ。
今回からは大岡山にあるLIVEスポット「Goodstock Tokyo」での開催になる。私も何度か足を運んだ事がある場所で、こじんまりとしたスペースであるが落ち着いて落語が聴ける。有料ではあるが酒を飲みながら楽しめるのも有りがたい。
6年前から世之介と支配人の新見氏が苦労してLIVEスポットでの寄席を作り上げて来た場所である。特にコロナ拡大で無観客を強いられた時には、いち早くLIVEスポットの生感のまま配信をしたいとYouTubeでの生配信を取り入れた場所でもある。音響とカメラワークも何とか臨場感を損なわないようにとかなり苦労をして生配信を今も続けている。
今までの「志ん生の孫」の配信も世之介が新見氏からの助言を受けて作り上げて来たものだ。
話はそれるが世之介の師匠先代馬生からこんな事をお聴きしたことがある。
「落語はそこに来たお客様と共に作ってゆく芸術だから、その日のお客様が半分高座を作っているんですよ。ですからその日その場で聴かなければ、本当の意味で芸を味わう事は出来ないものなんです。本当はレコードや録音では楽しめないのが芸です。あの夏目漱石が三代目小さんの芸を聴いて小説『三四郎』の中でこう言っている。
〈小さんは天才である。あんな芸術家は滅多にでるものじゃない。彼と時を同じうして生きている我々は大変な仕合せである。今から少し前に生まれても小さんは聞けない。少し遅れても同様だ〉
これはその高座を聴いて居た漱石も客の名人だったという事なんですよ。」と。
いつも高座を聴いて駄目だししている様な我々評論家は中々客の名人にはなれないとあの時思いましたね。
話がそれましたがつまり落語は足を運んで噺家の息遣いを生で聴いてこそ感動があると言う事。今回からの「志ん生の孫」は有観客ですから是非足を運んでもらいたい。また地方の方も生で配信の落語を楽しめるコアな企画ですから是非楽しみにして欲しい。
古今亭志ん五のフラ、古今亭菊志んの勢い、金原亭世之介の間。何より三人のトークはお客様も取り込んでどこまで行ってしまうのか楽しみでしょうがない。また世之介の前座の弟子たちの成長も見もの。今後の「志ん生の孫」楽しみにしている。
■ 演芸評論家 室輪まだこ