昭和四十七年頃だったと思う。志ん生が亡くなったのが昭和四十八年九月二十一日だから亡くなる一年ほど前だ。
私は志ん生の「天狗裁き」を初めて聞く事となる。しかし生ではない。当時のLP版レコードで聞いたのだ。
「天狗の葉うちわ」と解説にあって単なる昔話の延長のような噺と思って聞いたのだがその噺の構成、展開に度肝を抜かれた。「これが落語なんだ」私を落語ファンにしてしまった演題のひとつといっても間違いない。
それからレコード盤が擦り切れるほど何度も聞いて、生でこの噺を聴きたくて寄席へも通ったが、勿論志ん生の姿は高座には無く「天狗裁き」を演じる噺家もそのころは居なかった。
「志ん生滑稽ばなし」が立風書房から発売されて最後にこのネタが載っていて、志ん生の声を思い浮かべながら繰り返し何度も読んだものだ。挿絵の村上豊氏の天狗の絵は今でも記憶に残っている。
昭和五十二年頃だった。先代馬生が高座で「天狗裁き」を掛けたことがあった。実は志ん生以来の初の「天狗裁き」で、もちろん生でこれを聴いたのは初めてだった。これが志ん生に劣らずいや、それ以上の出来ですっかり馬生の虜になってしまった。
しかし馬生以外「天狗裁き」を演る噺家は居なかったので聴く機会になかなか巡り合えなかった。NHKBSだったと思う。その弟子の世之介が「天狗裁き」を平成五年ごろ掛けていた。
これがまた素晴らしくて、この時初めて落語はまさに伝統芸であるという事を実感したのだ。師匠から弟子へ、そしてその弟子から孫弟子へと演出は変化しても根底に流れる真髄は代々続いていくものなのだと。落語ファンになってその落語の歴史を目の当たりにできる喜びをそのころから感じ始めた。
現在は大勢の噺家が「天狗裁き」を演じているが私にとっては「天狗裁き」は古今亭のお家芸と思えてならない。
さて前振りが長くなったが今回金原亭杏寿が古今亭のお家芸「天狗裁き」を根多下ろしするという。多分稽古をつけているのは師匠の世之介であろう。古今亭志ん生から続く、先代馬生仕込みの噺を今度は杏寿がどう料理するのか今から楽しみでならない。
落語ファンの多くは杏寿の容姿やCDデビューという現状から落語に対する取り組みが適当なように感じているかもしれないが、二つ目昇進以後の高座を見る度、その成長は著しい。
彼女の落語の稽古量は多分並み大抵ではないのだろう。「死神」「お菊の皿」などの新たな演出も楽しかった。もしかしたら杏寿が女落語家の殻を破るジャンヌダルクになるかもしれないとさえ今は思っている。
この「黒門町で逢いましょう」は今しか見られない杏寿落語の歴史の1ページであることは間違いない。
4回目にしてすっかりチケットが取りにくい落語会になってしまった杏寿の根多下ろしの会。今回も早めの予約を入れることをお薦めする。
演芸評論家 室輪まだこ