昭和の人情噺の一番は「子別れ」だった気がする。太平洋戦争を経て人々は家庭という小さなサークルの幸せがいかに大切かを思い知らされたからだ。ウクライナ紛争を見るにつけても胸を締め付けられるのはやはり罪もない子供と親との別れだ。
しかし日本は八十年近く戦争から離れ家庭という小さな幸せの重さから遠ざかってしまって、子が親を敬う気持ち親が子を愛する気持ちが希薄になってしまった。
それは落語を演じる側も噺を聞くお客様にも言えることだ。だから人情噺の一番も「芝浜」や「文七元結」「柳田格之進」などそれぞれに変わってきた。
そんな中、杏寿が「子別れ」を選んで演じるという。これはまさに挑戦だと私は思った。
杏寿の師匠世之介に子供ができたころこんな話を聞いた事がある。丁度世之介が人情噺をよく手掛けていたころだ「文七元結」や「子別れ」「藪入り」「柳田格之進」などを各所で聴いた。そんなころ。
「今までは姪っ子や甥っ子の可愛さを自分の中で腹に落として愛する子を思い描いて長兵衛や熊さんの了見を作っていましたが、自分の子ができて甘かった自分の演出を思い知らされましたね。
我が子は全く違うものと気が付かされましたよ。自分の子は身体の一部なんですよ。子を取られるという事は目をえぐられること、舌を抜かれる事、腕を落とされることそれより辛いことなんだと分からなかったです。もちろん今はそんな心持で話してます。
うちの師匠が柳田格之進で吉原からもどった変わり果てた娘を老婆のようだと表現した演出や『子別れ』で亀の額の傷を見て涙する意が今ごろ分かるようになりましたよ」
そう言っていたのを思い出す。
さて「子別れ」と言えば先代「小さん」「圓生」が世間では良いとされているが私は十代目馬生の「子別れ」が好きである。
父である熊さんの情けない男の情愛と亀ちゃんの汚れないしゃべり、そして一変して泣いてしまう子供の不安定な感情。絶品だと思っている。
杏寿の「子別れ」も世之介仕込みという事は先代馬生の演出であろうから微妙な子供の感情の変化をきっと大切に演じてくれると思う。
子宝という言葉すら薄らいだ現在どこまで「子別れ」を杏寿が演りきれるか。
二つ目になってまだ八か月余りでありながら毎回大ネタに挑戦する彼女にエールを贈る。流派を問わない古典落語の人情噺「子別れ」待ってました金原亭杏寿!
演芸評論家 室輪まだこ