Column
以前何人かの師匠に「噺家が売れるには何が必要ですか?」と聞いた事があります。
志ん朝は「高座に上った時に華がある事」と言っていました。
師匠の言うには「華とは現れただけで何かぱっと高座が明るくなるそんな感覚です。若い人でも生来の華を持った人が何人か居ますよ。
こういう人を見ると落語界の未来を託したくなりますね。華は生まれ持ったものが一番だけど、懸命な姿に勝る華はないね。高校野球なんかハッとするような華を感じる選手がいるでしょ。
これは一生懸命な姿にあるんだろうね」
談志は「生まれながらの才能だ。それを磨けばいい。
と言うのは天才はね掛け算なんだ凡才は足し算だ。例えば毎回2の努力をするとする。
天才は2×2凡才は2+2だ。最初は同じ4の力なんだが次が違う4×2は8、4+2は6 8×2は16 8+2は10こんな具合に芸の力に差が付いて行く。
まっ終いには大きな差になる訳だ。どちらにしても努力しなきゃならんのは変わらんな。
ただ天才はそうは、居ないまあ俺と志ん生くらいだな。だから努力しろと言う事だ」と言っていた。
先代馬生は「綺麗なこと」と一言。
「容姿が美しい。これも結構。所作が美しい。これも良い。人間が綺麗。これも素敵だ。落語は人の滑稽を演出するからおかしな顔の方が良いように思うかもしれないが舞台にあがるのだから綺麗に超した事は無い。
歳を取っても文楽師匠や圓生師匠は綺麗な年寄りでしょ。本当は三平さんだってたいへんな二枚目ですよ。チャップリンなんか本当にいい男です。
勿論努力でも人は美しくなる。だからうちは前座でもせめて綺麗な格好をしなさいと言っています。そして高座の所作が美しくなるように踊りを稽古しに行きなさいとも言っている」
確かに馬生師匠のお弟子さんはみな綺麗事だった。
小三治は「たくさん色々な事に感動する事だね。人生ね感動できることが喜びですよ。憧れや尊敬がなくなったら生きていてもしょうがない。感動できる心を磨いて居れば自ずと芸も良くなる。芸が良く成れば噺家としてほっときゃしないでしょ。
それが売れると言う事でしょ。お客様を笑かせようとかしてるうちは駄目です。素直に落語の登場人物にも感動すること」趣味の多かった師匠らしい言葉でした。
さて私ごとき者から噺家さんの二つ目の門出に偉そうな事は言えませんが杏寿さんの大先輩たちから聴いたほんの少しエピソードを思い出しながら書いてみました。
ただ志ん朝師匠のおしゃった「華」や馬生師匠の「美しさ」は供えた噺家さんだと思います。
談志師匠はああは言っていますが人一倍稽古した師匠です。才能があろうと無かろうと努力は積み重なればきっと実ると思います。
小三治師匠の言葉を借りれば感動すると言う事はそれを与えてくれる人や出来事をリスペクトする事だと思います。尊敬する素直な気持ちを持ち続け、奢らず素敵な高座を勤めてください。
またお客様のご贔屓あっての芸人。一人の噺家が育っていく歴史をどうかこの二つ目昇進のスタートから長い目で応援して頂きたいものです。勿論わたしもお客様と共に足腰立つうちは金原亭杏寿の真打ちに至るまでの高座を楽しみに見届けたいと思っています。
演芸評論家 室輪まだこ