杏寿の挑戦にはこのところ驚かなくなってきた。前回の「柳田格之進」そして暮の「芝浜」お正月は「文七元結」である。
しかしながら「文七元結」は他の根多とはちょいと違う。私にもいささか思い入れが多い噺のひとつだ。
これまで人生を送ってきて好きな落語をあげろと言われれば必ず入るネタのひとつがこの「文七元結」である。
圓生のまるで大芝居を見たような充実感。志ん朝の映画を見終わったような感動。
そして先代馬生の小説を読み終えたようなじんわりくる後味。歌舞伎も私は大好きだが落語の「文七元結」を超える芝居にあった事がない。
それだけ私は最高、珠玉の高座を沢山観て来たつもりだ。
杏寿の師匠、世之介の「文七元結」も何度も聴いている。杏寿が教わったのは師匠からであろうから、多分世之介の型を継承しているのだろう。
実は先日「高円寺の底力落語会」で世之介の「文七元結」を聴いたばかりだ。演出は先代馬生の型に近い。
まだ世之介の文七元結を聴いて居ないなら絶対に聴いてほしい落語のひとつとだと私は言い切れる。それほど彼のこの噺は凄い。
世之介はこの噺を先代扇橋から稽古して貰ったと言っていたが、扇橋の文七元結とは随分違う。
よくよく聞いてみたら、世之介が先代の馬生に稽古を頼んだところ「扇橋に稽古を付けた事があるから扇橋から習いなさい。」と言われ扇橋に稽古に行ったのだそうだ。
ところが「馬生師匠の『文七元結』は難しくて稽古して貰ったけど覚えられず圓生師匠の型に変えた。」と言われ、仕方なく先代圓生のかたちで最初は覚えたそうだ。
その後真打ちが近い二つ目の頃馬生の型に戻したがやはり馬生の演出は難しく随分苦労したらしい。
特に佐野槌の女将の演出はかなり苦労したと聞いた。
真打ちに成って志ん朝の家に入り浸っていた頃、志ん朝の芝居の師匠である三木のり平の演出を志ん朝が各所に取り入れている事を聴いてお願いし世之介もそれを加えたそうだ。
佐野槌のご内所でのお久を女将より上手に置いているのもその一つ。上下の振りが一方になって舞台が狭く見えるからお久を上に置いた方が良いとのり平に言われ変えたそうだ。
また文七が大川端で五十両の金を貰って握りしめる前に体の外へ五十両を突き出す所作。これこそのり平の演出の凄さだ。
五十両の金が体から離れる事によって五十両の価値が大きく見える。細かな箇所まで緻密に演じられている。
勿論世之介自身の演出も各所にあってここには書ききれない。
その五十年近くかけて作り上げた師匠の「文七元結」杏寿がどう作ってくるのか、今回はさすがに見ものである。
しかしながら二つ目になったばかりの落語家のひよこが喋る「子別れ」や「幾代餅」「たちきり」で大の男が思わず涙してしまったのも事実。この大スペクタクルの「文七元結」杏寿がどう料理してくるのか期待も大きいのも事実である。
今回きっちりと「黒門町で逢いましょう」で見させてもらおう。見逃したお客さんが地団太踏む高座を期待する。
演芸評論家 室輪まだこ